「鎖を持つ家」
5


 『…篤君って、きれいだね…』


 『先生』って呼んでいたから、名前なんて憶えていない。
 「篤君って、綺麗だね」
 「……んなことないよ」
 「んーん。ホント、綺麗よ」
 「…………」
 「そう言われるの嫌?」
 「………ん。やだ」
 「そっかー。ゴメンね。でも、ホント綺麗なのになぁ……あ、ゴメンゴメン。そんな睨まないでよぉ。もー怖いんだから」
 15歳の時に国語と英語を教えてくれた。
 随分と可愛く笑う先生だった。綺麗だねって言う奴は下心があるんじゃないかって、いつも警戒してたのに、先生だけは不思議と言われてもそんなに嫌だと感じなかった。
 ものすごく、スピーキングの上手い先生だった。
 英語の撥音があんまり良いから、
 「先生って留学とかしたことあるの?」
 って、聞いたことがある。
 「うん。あるよ。大学卒業してから、4ヶ月間イギリスに留学してたんだよ」
 って言いながら、笑った顔が一番印象的だった。
 「はじめはね、話せなかったよ。ヒヤリングには自信があったんだけど、実際に向こうに行ったら全然何話してるんだか分からなかった。あの時、机の上の英語ってダメなんだってはじめて分かったの。でもね、だからってすぐ何とかなるものじゃなかったな。私ね、1ヶ月はホント無口な子だったのよ」
 「えー、信じらんない」
 「なにーぃ?」
 「だって、先生すっげーうるさいじゃん」
 「活発って言うのっ。…ホントなのよ。信じない?」
 「……別に……で?」
 さらりと細くて真直ぐで真っ黒な髪を耳にかけながら、懐かしい思い出みたいに話を続けた。
 「……環境が変わって緊張続きだったからなのかな?…1ヶ月過ぎた頃に、胃炎起こしちゃってね。それがもう痛くて痛くて。歩けないし、置き上がれないし。日本と違ってお粥ないから何食べれば良いかも分からなかったし。…看護してくれる人もいなかったの。もう、あの時は死ぬかと思った。ホスト先がね、ある意味私に無関心な人達でね。2-3日部屋から出てこなくても全然心配なんかしなくってね。最初は我慢してたんだけどもうどうしようもなくなって…自力で救急車呼んだのよ。……お医者さんに必死で具合悪いの訴えてね。でね、やっとの思いで1日だけ入院させてもらって。で…帰ったら、言われたの。『迷惑だ』って。『人騒がせだ』って。『だから日本人は嫌だ』って。もう、びっくりするより、悲しかった。」
 「………それで?」
 「……ん?学校に電話した。ホスト変えて下さいって。負けたって、思った。…でも、帰るのだけは嫌だったの。最後まで、ちゃんと勉強したいって思った。留学なんてもしかしたらこれが最後かもしれないって思ったから。負けでも何でも良いから、最後までちゃんと勉強だけはしたいってね。だって、ディスカッションも何も出来ないまま帰るなんて、何しに行ったか分かんないもの。
 新しいホスト先は学校から1時間も離れたところにあったの。おばあさんの一人暮しの家でね、おばあさんの話し相手をしてあげるのが条件のところ。私の他にもう1人インドから来た子がいたの。
 『ここはイギリスだから。英語でお話しましょ。英語で考えましょう。聞いたら自分の言葉を探して御覧。遠慮なんてしてちゃダメ』
 ……私の留学はきっとそこから始まったんだと思うの。それまではずっと自分が日本人だってことを意識しすぎてた。国を飛び出して飛び込んだんだから、意識も心も飛び込まなくっちゃダメなんだって、やっと気が付いたの。変なところで我慢しなくて本当に良かった。あの時ゴメンなさいって謝って、泣いて、それで我慢しちゃったら、私の留学って意味のないものだったかも知れない。
 すごく濃い時間を過ごしたよ。英語喋るのも前なんかと比べ物にならないくらい好きになれた。篤君、私の英語はね、机の上の英語じゃないのよ。生きてるの」
 「………ふーん…」
 ……凄いな…って、思った。
 細くて小さくて、直ぐに泣きそうな感じのクセに。髪なんかサラサラで、どっから見ても女の子って感じで、全然逞しくなんて見えないクセに。
 「…また、行くの?」
 「いつか、ね。絶対に行くよ」
 真直ぐ先を見詰めるような強い目が、今思えば、叔父さんに、少しだけ、似ていた。
 クラスの女子なんかと全然違ってた。
 先生は、大人だった。
 悪かった国語と英語の成績は、先生の留学の話を聞いた後、目に見えて良くなっていった。
 先生が帰った後、倍の時間勉強したから。
 「篤君は、教え甲斐があるよ。飲み込みがとっても良いよ」
 「………そう?」
 シャーペンを回しながら、気のない返事をしてみせた。
 参考書と一緒に、イギリス留学の本なんて買ったりなんかした。
 バレるのがなんとなく嫌で、本棚の一番目立たないところに他の数冊の本と一緒に背表紙を奥にして入れていた。
 直ぐ、バレた。
 「隠すことないじゃない。嬉しいよ」

 あんまり優しくて、あんまり近くだったから、勘違いした。

 「……こーなるの…分かって部屋に入れたクセに」
 ベッドの上に押し倒した時、フレアーのスカートが太股まで捲れ上がった。柔らかそうで、真っ白で。それだけで興奮した。
 先生の部屋らしい、清潔で、透明感のある部屋だった。壁に掛けられたコルクボードにピンで止められた写真は、どこまでも続く草原の風景だった。小さな折り畳みのテーブルの上の、飲みかけのコーラがシュワシュワと小さな音を立てていた。
 「いやっ、いやっ…!!」
 顔を背けられてキスを拒まれた。頭にきて首筋に噛み付いてやった。
 「痛いッ」
 身体を強ばらせて動きを止められたら、まるで自分が圧倒的に強いんだって気分になって嬉しくなった。
 「…好きなんだ」
 膝を割り入れて股に押し付けた。
 ブラウスを捲り上げてブラジャーの中に手を突っ込んだ。先生の自由になった方の手が、オレの背中を何度も叩いて、ワイシャツを掴んだ。女って、ホント力ないなって、思った。
 「やめてっ」
 涙声になんて、絶対耳を貸さなかった。
 だって、もう後には戻れなかった。
 今更なかったことには出来ない。
 だったら、最後までやりたかった。
 あの頃好きとセックスは、今よりも全然違う意味で同じものだと思ってたから。
 先生が必死で抵抗する。
 下着1枚になってもまだ逃げようとする。
 身体を反転させて、ベッドから逃げようと時、一瞬四つん這いの姿勢になったから、チャンスと思って下着に手を掛けて、破くような勢いで引きずり下ろした。
 「いやっ」
 太股で引っ掛かって、更に勢いを付けて引っ張ったら、先生はバランスを失ってベッドに倒れ込んだ。そのまま一気に脱がせて、一番遠くに投げ捨てた。
 肩に手を掛けて、力ずくで上を向かせる。すごく綺麗な身体。元から理性なんてなかったけど、胸と股を見たら、もう、どうしようもなくなった。
 先生がぎゅーっと目を瞑る。そんなことしたって全部見えてるのに。
 上に被い被さって、ちょっとも動けないようにして、乳首に吸い付いた。
 先生の動揺が唇を伝って、感じた。乳首を吸い上げながら顎で押すと、ふにふにしていて気持ちよかった。顔を埋めるようにして吸うと、鼻の先にも乳房があたった。立ち上がって来た乳首は思ったよりも固い。何かの本で読んだ『食い千切りたい』って気持ちが少し分かる。吸上げたまま舌で包み込むように舐めると、先生の身体が小さく震えた。
 あの時の性知識なんて、友達と回し読みしたエロ本と叔父さんにされたことぐらいしかなかった。胸の揉み方なんて分からない。試しに右手で掴んで揉んだら、痛そうな顔された。また頭だの顔だの殴られる。こんな状態でまだ諦めないなんて先生って結構バカだ。抵抗しなきゃもっと優しくしてあげられたのに。
 キスをしたら、噛み付かれた。
 「………チッ」
 両手で足を掴み大きく開かせる。先生の顔が一気に真っ赤になる。
 「やっ、やめて……っ!!」
 「………やだ」
 ケツが少し浮くぐらいまで持ち上げたから、両手が上手く上げられないらしい。…なんだ始めからこうすれば良かった。
 ジーンズとトランクスを半脱ぎして、自分のモノを掴み出す。先生のアソコにあてがい、叔父さんがオレにしたように、腰を突き出した。
 ……………………。
 全然入らない。お互いの肉がくっ付きあったみたいなって、上手く中に入れられない。
 慌ててエロ本に書いてあったことを思い出そうとしたけれど、ズブズブ入れて…なんてばっか書いてあって、入れるのが大変だったなんて一言も書いてなかった。なんだよエロ本ウソばっかじゃん。
 先生のアソコが濡れてなかったからなんて、知ったのはもう随分後のこと。
 無理に入れようとすると、オレのペニスに先生のアソコの周りのビラビラがびったりくっついて変に動きが取れなくなる。入り口はとにかく狭いしきついし。
 すっげー拒絶されてるって気分になった。
 そう思ったらよけいムキになった。
 でも、いくらやっても入らなかった。
 どんなに頑張っても、先生のアソコは絶対オレを入れてくれなくて。
 諦めて身体を放した時、泣きそうになるくらいムカついた。
 シーツを掻き集めて身体を隠した先生が怯えた表情でオレを見る。
 「……どうして…?」
 そんなの決まってるじゃん。
 「…好きだから」
 でも、先生は最後まで拒んだ。
 だから。
 「…もういい」
 襲ったのはオレで、襲われたのは先生で、被害者って言ったら絶対先生で。
 でも、オレだって凄く傷付いた。
 全身で拒まれた。
 まだ子供だったから、どんなに先生が傷付いてたかも知らないで、1人で怒って傷付いた。
 何にも言わずに部屋から出ていった。
 むしゃくしゃしてて、ドアを力一杯閉めてやった。
 物凄い音がして、ドアは閉まった。
 それから先生には会っていない。

 高校で付き合ってた女の子が、セックスの時に笑いながら教えてくれた。
 「ココって気持ち良くしてくれないと濡れないんだよ」
 女の身体って、凄いと思った。









 悪いこと…したな。




 するのもされるのも、嫌いになった。
 気持ち良いけど、虫酸が走る。
 嫌悪感とか、罪悪感とか。
 快感のすぐ側に、ざわざわした不快な感覚があって、どうしても没頭出来ない。
 自分でやっても虫酸が走る。
 快感そのものが嫌になった。

 だから。
 シンはオレに『綺麗だ』って言う。
 最初、最中に言われたから、一気にフィードバック起こして吐きそうになった。
 思わず蹴り飛ばして殴り倒した。
 最初挿れられた時、あまりの痛さに、先生のことを思い出した。
 濡れっこないオレの後ろにはローションが塗ってあったけど、それでもきつくて痛くて怖かった。指だったらきっと怖いなんて感じなかったと思うけど、まさか『指にしてくれ』なんて言えなくて、ひたすら歯を食いしばって我慢した。ところが歯を食いしばったせいで、余計辛くなって……。
 受け入れようと思っても、こんなに辛いものだったのに…って、思ったら、先生にどれだけ悪いことをしたか思い知った。
 だから、シンとの最初のセックスなんて、多分最悪だった。
 吐きそうになるし、蹴るし、殴るし、怯えるし。
 止めさせなかったのが、自分の罪悪感からだったなんてバレたら、マジ何て思われるか。
 ……や。あいつのことだから、きっと黙って抱き締められる。
 言葉を探して、見付けられなくて。だから、一言も喋らなくて。でも、優しくて。
 ………だから、オレは……。




 「…………」
 汗だくで目が覚めた。
 目を開けても真っ暗で、最初びびって起き上がろうとしたら頭を天井に嫌って程強くぶつけた。
 「ってぇ〜」
 パニック起こしかけて、その前に自分の居場所に気が付く。
 「……あ…そうだった…」
 擁護の車に忍び込んてたんだっけ。
 車は止まっている。
 信号かと思って暫く様子を伺っていたが、走り出す気配もない。…あ、エンジン切れてるわ。
 まくらにしていたカバンの中から時計を取り出し、バックライトのボタンを押す。
 走り出してから既に5時間が経過している。
 「うっそ!!やべぇっっ」
 慌ててワイヤーを掴んで引っ張った。
 ボフンッ。
 そーっと1センチぐらいの隙間を開けて、そこから外を覗く。誰かに見付かったら大変だからな。慎重に…慎重に…って…………おいっっ!!
 オレは勢い良くトランクを開けて身体を起こした。
 周りを見渡し、思わず呆然とする。
 想像していたのはシンの家の駐車場。
 ところが、目の前の景色は見渡す限りの緑。緑。緑。
 細い、車1台通るのもどうよってぐらいの細い道。車はほんの僅かに切り開かれた側道に寄せて止められている。それ意外は鬱蒼と生い茂る木しか見えない。
 擁護ッ!!お前どこに行く気なんだよっ!!!シンのところじゃねぇのかよっ!!!
 何だよっ!!!この山奥っていうのはっ!!!!
 意表ついてんじゃねぇよっ!!!!!
 同じ姿勢が続いてたんで、よろけてしまいながらもトランクから飛び下りた。
 見渡すも、覚えのない景色が広がっている。
 「……………」
 ……どうすりゃ良いんだよ……っ。
 この一本道を引き返せば戻れるかも知れない。でも、引き返すっていってもどっちか分からないし。先に進むにも、どっちが先か分からない。
 街灯はないし。夜になったら真っ暗だ。
 だったら、擁護の車で待ってた方が良いかも知れない。なんだかエラい山奥って感じだし。……っつーか、怖い。
 日が暮れたら……。
 あーっっ!!なにびびってんだよっっ。
 何しに来たよっっ。
 気を取り直して辺りを注意深く見渡す。こんな場所で、擁護が車ン中からいないなら、この側のどっかに行ったはずだ。却って分かれ道もないんだから、迷うってこともない…筈だ。
 『……篤』
 突然名前を呼ばれた。
 子供の声だ。
 見付かったかと思ってビックリしたものの、咄嗟に声のした方を向いた。
 木の間から、小さな子供が顔を出してこっちを見ていた。
 青い、巫女さんみたいな変な格好した奴で、ガリガリの目が物凄くデカい女の子、長い髪の毛は、後ろで束ねられていた。
 「君は?」
 子供は返事の代わりに笑ってみせた。
 あっ……と、思った。
 耳障りなノイズの向こうの笑い声とリンクする。
 『篤』
 瞬きもしないで、こっちにも寄ってこないで、木の隙間からこっちを覗いて子供が喋る。
 『早かったな』
 「…おまえ…電話の……」
 子供がニヤ…っと口だけ笑った。
 『後はただ真直ぐだ。迷うこともないだろう』
 「………シンは?いるのか?」
 『……いなくてどうする?』
 また、神経に触るような笑い声。
 どうってことない筈なのに、こんな山の中、1人より、子供でも会えてマシだっていうのに。いや、むしろ子供がいるくらいの場所なんだって思えてホッと出来る筈なのに。
 辺りの気温とは全く関係無しに、寒気を感じた。
 『どうした?来るのか?帰るのか?』
 「…い、行く」
 得体が知れないにしろ何にしろ、あの先にシンがいるなら。
 「君が案内してくれるの?」
 子供は表情を変えずに言った。
 『甘えるな』
 子供がくるりと踵を返す。
 「あっ、ちょっ、待った!!」
 慌てて走り寄ると、目の前に1本のしめ縄が張られた細い道が現れた。
 デカい木に邪魔されて見えなかったらしい。
 しめ縄の奥には、まるでケモノ道みたいな細い道が真直ぐに続いていた。
 薄暗い真直ぐな道は、明らかに何度も踏み固められた後があり、つい最近も使われているような感じの道だった。
 200メートルぐらいは見通せるくらいの直線距離で、その先は暗くて良く見えなかった。
 走り去る、子供の姿は、なかった。
 あの格好で、そんなに早く走れはしない。
 鳥肌が立ちそうになって、考えるのをやめた。
 壊れた携帯電話に電話を掛けて来たぐらいだ。姿だって消せるんだろうよっっ。
 人であろうが、なかろうが…っっ。
 あいつはシンの居場所を知ってる筈だ。
 だったら……っ。
 カバンを肩にかける。
 睨み付けるようにしめ縄の先に続く道を睨み付ける。
 息を整え、
 「………よしっ」
 オレはしめ縄を潜り、子供が消えたであろう道を歩き始めた。
 
 
 
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トランクルームの中での回想シーン後編でした。しかし、こいつの性格って・・・。今は随分一途なようなんですが・・。それでは次回をお楽しみに